【株式会社ササフネ】お客様に笑顔を宿す丼丸。自由と信頼で築く唯一無二のフランチャイズ戦略

大島さんは、人生を謳歌するために若くして欧州へ渡り、語学学校での学びや中近東でのバックパッカー生活など、濃密な青春時代を過ごしました。
帰国後はさまざまな職を経験しながら、最終的に勤務したテイクアウト寿司店で独立を決意。1979年に『株式会社ササフネ』を創業し、寿司店『笹舟』を開業しました。
そして2007年、海鮮丼テイクアウト専門店『丼丸』の1号店をオープン。ワンコインでボリューム満点の海鮮丼は瞬く間にヒットし、業界に衝撃を与えました。
現在、株式会社ササフネの会長として『丼丸』の展開を見守る大島さんに、起業までの道のりや、経営者として大切にしているマインドをお伺いしました。
- 大島純二さんのご経歴
- 歴史ある”ササフネ”が手がける、元祖テイクアウト海鮮丼『丼丸』
- ー現在、経営されている会社名と主な事業内容を教えてください。
- 人生を謳歌するため、大学を中退してヨーロッパへ旅立った
- ー学生時代はどのような職業に憧れていたのでしょうか?
- ーなぜ、大学を中退してヨーロッパへ旅立たれたのでしょうか?
- 何度も転職を重ねてたどり着いた、テイクアウト寿司という道
- ー株式会社ササフネを創業し、寿司店『笹舟』を開業した経緯をお聞かせください。
- ー『丼丸1号店』を開業するまでの経緯をお聞かせください。
- 「絶対に500円で売る」その意地が、丼丸をヒットに導いた
- ー『丼丸』の代名詞である、”ワンコイン海鮮丼”誕生の背景をお聞かせください。
- ー当時、海鮮丼のテイクアウト専門店でライバルはいたのでしょうか?
- ー『丼丸』の店舗展開において、どのような方法で資金調達をされたのでしょうか?
- お客様の笑顔のために。ササフネが守り続ける商いの姿勢
- ー株式会社ササフネが掲げるミッションについてお聞かせください。
- ー『丼丸』の唯一無二の商品力についてお聞かせください。
- “マニュアルのない”フランチャイズ——丼丸が採用したのれん加盟という選択
- ー本部を持たない『丼丸』の自由な経営形態について、詳しくお聞かせください。
- 喜びを分かち合う経営のカタチ。感謝と信頼が自然と輪を広げる
- ー経営者として大切にしているマインドを教えてください。
- ー組織と社員の成長を促すために心がけていることはありますか?
- ー今後、『ササフネ』で挑戦したいビジネスはありますか?
- 人との出会いが人生を創り、幸せに導いてくれる
- ー起業を目指している読者に対して、メッセージをお願いします。
- 起業や独立に興味を持ったら、まずは「起業の窓口」に登録してみよう!
大島純二さんのご経歴
- 日本大学法学部新聞学科を中退後、スペインの語学学校に約1年半〜2年弱在学。その後、約半年間にわたって欧州や中近東などを放浪。
- 帰国後、公務員船員・ホテルウェイター・工事現場作業員・タクシー運転手・寿司店など、多岐にわたる職業を経験。
- 1979年8月10日:『株式会社ササフネ』を創業。寿司店『笹舟』をオープン。
- 2007年7月:海鮮丼専門店『丼の丼丸』1号店をオープン。
- 2012年6月:『丼丸』ののれん加盟店の全国公募を開始。
- 2014年:独自のフランチャイズチェーン戦略で、『丼丸』を全国100店舗まで拡大。
- 2024年9月:『丼丸』のフランチャイズ店が全国400店舗を突破。
歴史ある”ササフネ”が手がける、元祖テイクアウト海鮮丼『丼丸』

ー現在、経営されている会社名と主な事業内容を教えてください。
1979年(昭和54年)に『株式会社ササフネ』を創業し、現在は会長を務めています。
事業内容は、テイクアウト専門の海鮮丼店『丼丸(どんまる)』の運営が中心です。
会社名の”ササフネ”は、昔、JR東日本が展開していた『ディスカバージャパン』というキャンペーンのチラシに載っていた、“小川に浮かぶ笹舟”の光景から取ったものなんです。初めてその写真を見たとき、「ああ、これはいいな」と、どこか心が惹かれるような感覚があり、それで社名に採用しました。
人生を謳歌するため、大学を中退してヨーロッパへ旅立った
ー学生時代はどのような職業に憧れていたのでしょうか?
若い頃は、貨物船の船乗りになり、いろんな外国の港を巡って世界中を旅してみたいと思っていました。
如何にしてこの青春を充実させようか。そんなことばっかり考えていたので、経営者になりたいという願望は全くありませんでした。
ただ、「大学を卒業したらアレをやろう、こんな仕事に就こう」という明確な目標もなかったので、たった一度きりの人生をエンジョイするために大学を中退し、思い切ってヨーロッパへ旅立ちました。
ーなぜ、大学を中退してヨーロッパへ旅立たれたのでしょうか?
当初はフランス・モンペリエの大学に入学する予定でした。ところが、モスクワから列車で向かう途中、熱を出してしまったんです。
モンペリエを通り過ぎ、気づけばスペインのバルセロナで下車していました。すると、不思議と熱が下がっていたんです。そのとき「自分にはスペインが合っているんだろうな」という感覚があったんです。だったらこのまま東京に帰るのではなく、「マドリードまで行って勉強をしよう」と決めました。そこから約1年半〜2年弱ほど語学学校に通いました。
その後は、半年ほどかけて、ヨーロッパ各地や中近東を放浪する度に出ました。中近東ではバックパッカーも経験しましたし、本当に貴重な経験でしたね。
何度も転職を重ねてたどり着いた、テイクアウト寿司という道

ー株式会社ササフネを創業し、寿司店『笹舟』を開業した経緯をお聞かせください。
海外放浪を経て帰国したあと、公務員として企業に勤めることになりました。しかし、しばらく働くうちに「このままの生活では、自分の将来が見えてしまうな」と感じ、1年で退職することになりました。
そのあとは、本のセールスをしたり、ホテルのウェイターやバーのスタッフをやったり、美術・芸術の現場に関わったこともありましたし、タクシー運転手や工事現場での力仕事も経験しました。ほんとうに、さまざまな職業に就いてきましたね。自分で小さな食堂を開いたこともあるんですよ。
最終的に、あるテイクアウト専門の寿司店で1年間働かせてもらったことが、独立の大きな転機となりました。職人と呼べるほどの腕前はありませんでしたが、見様見真似で寿司を握り続け、「これなら自分でもお店を出せるな」と思うようになりました。
当時の持ち帰り寿司店は、本当に小さなネタばっかりだったんですよ。「それなら自分は大きなネタで勝負しよう」と思い、1979年に寿司店『笹舟』を開業しました。
ー『丼丸1号店』を開業するまでの経緯をお聞かせください。
『笹舟』を20数店舗まで拡大したとき、慢心していた時期がありました。「お店は若い人に任せて自分はのんびりしよう」と、経営を甘く見てしまった結果、どんどん周りの人が離れていったんです。
そんな状況に危機感を感じて、「みんなと一緒に頑張らないといけないんだ」と思い、現場に復帰しました。そして、経営理念として”喜びの共有”を掲げ、再スタートを果たしました。
当時、『笹舟』の経営と並行して、かつては居酒屋とブティックも手がけておりました。どちらの店も同じ女性が店長を務めていたのですが、残念ながら、売上が思うように伸びなかったんです。
そんなとき、ふと思いついたんですね。「居酒屋で魚を捌いているのなら、いっそブティックを閉めて、海鮮丼のお店をやってみたらどうか」と。海鮮丼であれば、寿司職人でなくても作れますし、ちょうど握り寿司以外の業態を模索していた時期でもありました。
それがきっかけとなり、2007年7月、海鮮丼専門店『丼丸』の1号店をオープンしました。すると、思いのほか大きな反響をいただき、まさに”大当たり”だったんです。
「絶対に500円で売る」その意地が、丼丸をヒットに導いた

ー『丼丸』の代名詞である、”ワンコイン海鮮丼”誕生の背景をお聞かせください。
『笹舟』では当時、1,000円で美味しい海鮮丼をご提供していました。これでも十分リーズナブルな価格で、上寿司にすると650円程度の原価です。しかも、誰でも作れるんですよ。
それならいっそのこと、丼丸では「500円で美しい海鮮丼をテイクアウトできるお店にしよう」と提案したんです。ところが、周囲からは「さすがに安すぎるでしょ」と言われましてね。
それを聞いて逆に火がつき、「絶対に500円で売ってやろう!」と意地になったんです。なんとか実現させるために、知り合いや業者 にも協力を仰ぎました。そして試行錯誤を重ねた結果、”ワンコイン海鮮丼”を実現させることができたんです。
ー当時、海鮮丼のテイクアウト専門店でライバルはいたのでしょうか?
あの時代、ライバルなんて存在していませんでした。そもそも海鮮丼のテイクアウト専門店なんて、どこを見渡してもいなかったんですよ。
ただ、商売というのはお客様あってのもの。価格を抑えて、しっかりと美味しいものをたっぷりと提供すれば、おのずとお客様が来てくださる。そんな確信がありました。これは当たり前のことなんですが、意外とここを理解できずに失敗する方って多いんですよ。
丼丸が掲げたワンコインの価格設定は、お客様からの反響がとにかく大きかったです。すぐに2号店を出すことになり、私自身が店長として現場に立ったところ、驚くほどの反応があってビックリしたことを覚えています。
その勢いに乗って、2〜3年のうちに20店舗ほどまで展開し、一定の認知を得たところで、いよいよフランチャイズ展開を始めることとなりました。これを機に、”丼丸”というブランドが一気に爆発したんです。
ー『丼丸』の店舗展開において、どのような方法で資金調達をされたのでしょうか?
ある信用組合と開業当初からお付き合いがありまして、丼丸1号店の頃から毎月10万円ずつ積み立てしていました。丼丸2号店をすぐに出そうとなったタイミングで、その信用組合の担当者の方から「うちで融資しますよ」と声をかけていただいたので、店舗展開に向けた資金調達として活用しました。
何度か政策金融公庫も利用しましたが、2号店、3号店と出店するたびに、基本的にはすべて同じ信用組合から融資を受けていましたね。
丼丸の出店費用は低額なので、1〜2年くらいで回収できてしまうんですよ。資金を回収した後は純利益となり、自己資金として再投資に回すことができますから、次々と出店する流れをつくれたというわけです。
お客様の笑顔のために。ササフネが守り続ける商いの姿勢

ー株式会社ササフネが掲げるミッションについてお聞かせください。
お客様が求めているのは、やっぱり”安くて美味しいもの”なんです。それは、誰にとっても共通の願いでしょう。高くて美味しくないものを、わざわざ買う人はいませんからね。
我々が取り組んできたテイクアウトという業態は、手頃な価格で、しっかり美味しいものを提供すること。それがすべてだと考えています。これは飲食業界に限らず、あらゆる商売に通じる基本でもあるはずです。
お客様に喜んでいただけることを、ただ真っすぐにやり続ける。それが、私たちの変わらぬ姿勢です。
ー『丼丸』の唯一無二の商品力についてお聞かせください。
やはり海鮮丼でありながらリーズナブルな価格設定であり、種類も豊富。そして、味付けやボリュームにもしっかりこだわっています。
なかでも、安くてボリュームのある丼を出すためには、仕入れのやり方が肝なんです。どういう仕入先と、どういう付き合いをするか。そこはすごく大きいです。
弊社には、昔から長くお付き合いしている業者さんがいまして、その関係性をとても大切にしています。「こっちは客なんだから」といって、業者さんに無理を押しつけたり、横柄な態度を取ったりする人もいますけれど、そういうやり方では、いざというときに動いてもらえません。常に感謝の気持ちを持って、丁寧にお付き合いをする。それが基本です。
商売をするうえでも『お客様に感謝する気持ちを持つこと』が大切だと言いますが、それは仕入先の業者さんに対しても同じことなんですよ。どちらも大切なお相手として、誠意をもって接することで、商売が上手く回っていくんです。
“マニュアルのない”フランチャイズ——丼丸が採用したのれん加盟という選択
ー本部を持たない『丼丸』の自由な経営形態について、詳しくお聞かせください。
いわゆる一般的なフランチャイズのように、各店舗のオーナーが細かいルールやマニュアルに縛られることはありません。というのも、こちらがあれこれと規則を作ってしまえば、自分自身もそのルールに縛られることになってしまうからです。
私は、そうやって自由を失ってまで商売をしたくないんですよ。「自分も自由にやるから、あなたたちも自由にやりなさい」——それが私の基本的なスタンスです。
唯一お願いしているのは、のれん代として毎月3万3千円を納めてもらうこと。それだけです。あとはすべて自己責任でビジネスをしていただいています。どんな仕入先を使うか、どんな新しい丼を開発するか、すべて自由。一切こちらから口出しはしません。ただ、こちらで長年お付き合いのある業者さんの情報などは、必要があれば提供しています。
こうしたやり方のほうがずっと気楽ですし、実際にオーナーの皆さんからも喜ばれています。本音を言えば、みんな本当はこうした自由な経営がしたいんだと思うんですよ。
「あれを売れ、これを売れ」とマニュアルで縛られるような経営は、私の考える商売のあり方とは違います。だからこそ『丼丸』では、一般的なフランチャイズとは異なり、のれん加盟店という独自の形を取っているんです。
丼丸1号店をオープンした頃から、私たちの姿勢や取り組みは一切変わっていません。
喜びを分かち合う経営のカタチ。感謝と信頼が自然と輪を広げる

ー経営者として大切にしているマインドを教えてください。
経営陣と喜びを共有することです。お客様との共有ももちろん大切にしていますが、一緒に働く仲間や付き合いのある業者さんと『みんなで喜びを分かち合えるような関係』を築けることが理想です。
そのためにも、感謝の気持ちを忘れず、人の繋がりを大切にしていかなければならないです。感謝がなければ、どうしても表面的な付き合いだけになってしまいます。でも、不思議なもので、ちゃんと心が通えば、相手も自然といろいろ面倒を見てくれるんですよ。そうやって自分も、これまで本当にたくさんの人に助けられてきたなと、しみじみ思います。
ー組織と社員の成長を促すために心がけていることはありますか?
相手の意見に真摯に耳を傾けること。これは、私が大切にしている姿勢のひとつです。人それぞれに個性がありますから、型にはめるようなことはしたくありません。
ササフネの社内風土も、そうした自由な考え方を尊重しています。「自分で考えて動いていい」「やり方は任せる」というのが基本の姿勢です。そのなかで、上手くいったことや良い事例があれば、みんなで共有して学んでいく。そして根底として、「みんなが幸せになること」を目指していける組織であり続けたいです。
ー今後、『ササフネ』で挑戦したいビジネスはありますか?
社長職を退き、今は一歩後ろに下がった立場ですので、自分から前に出て旗を振るつもりはもうありません。これから先の展開は、現場で動いている役員たちが考えるべきことだと思っています。
私が「こうしろ、ああしろ」と口を出してしまえば、周囲はどうしても従わざるを得なくなりますし、それでは新しいアイデアも生まれにくくなってしまいますからね。
今の時代に合ったビジネスをつくっていくには、やはり若い世代に任せたほうがいい。そちらの方が、間違いなく時代の流れに沿ったものが生まれるはずです。
年配の人間が「こうしたほうがいい」と言っても、現代におけるスピード感にはついていけなかったり、感覚がずれてしまったりすることも多いですから。
若い人が「これをやってみたいです!」と声を上げてくれたときに、「それはいいね、やってみなさい」と背中を押してあげる。それくらいの距離感が、今の自分にはちょうど良いと思っています。
私自身が先頭に立って旗を振るわけではないですが、もし「海外で出店したい」という想いを持つ人が現れたら、そのチャレンジを応援したいですね。
もし、海鮮系の丼ぶりを海外でも絶対に受け入れられるでしょうし、丼丸が海外進出すれば、爆発的にヒットする可能性もあると思っています。
人との出会いが人生を創り、幸せに導いてくれる

ー起業を目指している読者に対して、メッセージをお願いします。
経営者になりたいなら、『人との出会い』を本当に大切にしてください。昭和54年にササフネを立ち上げ、こうして長くやってこられたのは、たくさんの人たちとの出会いがあったからです。
人間、ひとりじゃ何もできないんですよ。育ててくれた親。学生時代から仲の良い友人たち。自分のことをよく理解してくれる人たちと長く付き合っていれば、辛いときに励ましてくれますし、時にはアドバイスもくれます。
人との出会いで、自分の人生は創られていく。だからこそ、人との付き合い方、接し方を見つめ直し、一つひとつの出会いを大切にしてください。
そして、頭を柔らかくして、仲間たちと喜びを共有しながらビジネスに励む。そうすれば、みんなで幸せになれる未来が待っているでしょう。
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起業には個人事業主としての開業と会社設立の2種類があり、事業形態に合わせて選ぶことが大切です。また、起業のアイデアをまとめたり、事業計画書を作成したりといった起業の流れを把握し、十分な準備を整えるようにしてください。
一度起業すると、資金や従業員の管理、納税など多くの責任を負わなければなりません。過去の成功事例も参考にしながら、自分なりのビジネスを展開できるよう起業アイデアを練ってみましょう。
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