【株式会社美容家集団MEDUSA】お金では買えない美学と信念。メイクアップアーティストの未来を創る継承者

ヘアメイクアーティスト事務所「株式会社美容家集団MEDUSA(メデューサ)」の経営者であり、自身もヘアメイクのスペシャリストとして講師活動やメディア出演をされている山咲サトルさん。
高卒後、約30職もの転職を繰り返していた山咲さんは、東京で偶然モデル事務所のスカウトを受け、美容業界へ足を踏み入れました。
その後、美容専門学校を卒業し、「山田かつら」で現場見学を7ヶ月間無給で続け、河川敷でのホームレス生活も経験。生活に困窮しながらも充実した体験を得た山咲さんは、韓国に渡り新たなキャリアを積み、34歳で「株式会社美容家集団MEDUSA」を設立しました。
現在、ヘアメイクアーティストの育成と派遣、自身の経験を活かした講演・メディア活動に精力的に励む山咲さんに、起業するまでの道のりや経営者として大切にしているマインドを詳しくお伺いしました。
- 山咲サトルさんのご経歴
- どれだけ経験を積んでも初心を忘れないのが、美容家集団MEDUSA
- ー現在、経営されている会社名と主な事業内容を教えてください。
- 世界を股にかける仕事に憧れ、約30職の転職を経験した
- ー学生時代、起業に憧れを抱いたエピソードがあればお聞かせください。
- ー最初の就職で美容を仕事にすることを考えていたのでしょうか?
- 美容業界は将来が見えないからこそ、挑戦する価値があった
- ー美容業界に興味を持ち始めたきっかけとは何でしょうか?
- ーなぜ、ヘアメイクの専門学校への進学を決めたのでしょうか?
- 所持金は32円。ホームレス生活でも夢を追い続けた
- ーヘアメイクの専門学校を卒業後、無事になりたい職に就くことはできたのでしょうか?
- ー7ヶ月無給で働いている間、どのような生活をされていたのでしょうか?
- ー非常に過酷な状況のなかで、山田かつらの仕事を掴み取ることはできたのでしょうか?
- 年齢で選ばれる厳しい現実を知り、タイムリミット前に起業を決めた
- ー美容業界で独立を意識し始めたタイミングはいつでしょうか?
- ー起業を意識してから、実際に会社を設立するまでの背景をお聞かせください。
- ー美容業界で成功するためのビジネスアイデアはあったのでしょうか?
- 言葉も通じない韓国で貴重な海外キャリアを積んだ
- ー海外キャリアを積む場所として、なぜ韓国を選ばれたのでしょうか?
- ー韓国でヘアメイクのお仕事はすぐに見つかったのでしょうか?
- ー韓国でまた1から挑戦でしたが、不安はありませんでしたか?
- 経営者に付き添っていた経験が、起業後のマネジメントに役立った
- ー起業に必要な書類作成や手続きはスムーズに進みましたか?
- ー会社を設立する前、経営に必要な知識を学ぶ機会はありましたか?
- MEDUSAが目指すのは、ヘアメイクアップアーティストの地位確立
- ー美容家集団MEDUSAが掲げているミッションについてお聞かせください。
- ー現在の主な活動内容について、詳しくお聞かせください。
- 「お金を追った仕事は絶対しない」という信念
- ーMEDUSAに属するヘアメイクアップアーティストの特徴についてお聞かせください。
- ーヘアメイク業界で独立し、長く活躍するための秘訣についてお聞かせください。
- ー今後、新たに挑戦したいビジネスはありますか?
- 現場に行く前の準備こそ「真の仕事」である
- ー経営者として大切にしているマインドを教えてください。
- ー美容家集団MEDUSAの企業文化・風土づくりで、特に心がけていることはありますか?
- 人として誠実であり、対応も常に丁寧であることが大切
- ー起業して良かった、経営者になって良かったと思えたことをお聞かせください。
- ー経営者を目指すうえで重要な要素があれば教えてください。
- 今しかできないことに目を向けてトライしてほしい
- ー起業を目指している読者に向けて、最後にメッセージをお願いします。
- 起業や独立に興味を持ったら、まずは「起業の窓口」に登録してみよう!
山咲サトルさんのご経歴
【ご経歴】
- 1993年:「山田かつら」に所属。TV・映画・舞台の日本髪かつら、洋髪かつらの製造に携わる傍ら、日本化粧、舞台、TV番組出演キャストのメイクを担当
- 1997年〜:化粧品会社「ESTEE LAUDER」をはじめ、複数社の化粧品メーカーにて専属メイクアップアーティストとして、メイクトレーナー、新商品販促プロモーションなどの活動を行う。同時に複数校の美容学校やメイクスクール、企業様にてメイクアップ講師としても精力を注ぐ。
- 2000年〜:全ての活動拠点を韓国に移すべく渡韓。ソウルを中心に美容学校や美容室にてメイクアップ講師として4年間海外でのキャリアを積む。
- 2004年:帰国後に現在のヘアメイクアーティスト事務所、株式会社美容家集団MEDUSAを設立。
- 現在:講師活動を中心にラジオ番組、TV、通販番組出演など、メディアでも活動中。
【メディア出演歴】
- 2002年:TBSテレビ「ガチンコ!」のコーナー企画「変身セレブPARTY」にて、メイク界のカリスマとして出演。
- 2006年:テレビ東京「TVチャンピオン」のヘアスタイリスト王決定戦にて、審査員として出演。
- 2009年:TBSテレビ「昼しょぴ」のTBSショッピングにて、アイライナー製品のコメントで出演。
- 2007年〜2010年:TV通販「ショップチャンネル」にて、山咲サトルのアートメイク眉製品・アイライナー製品・ファンデーション製品でゲスト出演。
- 2010年、2016年:テレビ神奈川「かながわ旬菜ナビ」にて。美容法の紹介で出演。
- 2021年:フジテレビ「二宮ん家」の芸能人美肌ランキングにコメント出演。
- 2024年:テレビショッピング・通販「QVCジャパン」にて、スキンケアシート(韓国製)でゲスト出演。
【YouTube出演歴】
- 2023年:「三浦マイルドのBeauty Flash channel」にて、メンズメイクで大変身企画のメイクアーティストとして出演。
- 2023年:「ラジオぽてと」の「ときめきクローゼット」にゲスト出演。
【ラジオ番組出演歴】
- 2022年:CRT栃木放送「仕事の図鑑」に出演。
- 2023年:「数矢英子のコミュニケーションRadio」にゲスト出演。
- 2024年:「ホンマルラジオ」に出演。
【その他】
- 2023年:Webメディア「社長の履歴書」にて、経歴/会社紹介を掲載。
- 2023年:青葉区民ニュース「まちの仕事人」でインタビュー記事を掲載。
- 2023年:秋田県能代市ふるさとPR大使、一般社団法人広島県観光連盟Hitひろしま観光大使、静岡県きくがわ応援大使、福島県棚倉町「たなぐら応援大使」に就任。
どれだけ経験を積んでも初心を忘れないのが、美容家集団MEDUSA

ー現在、経営されている会社名と主な事業内容を教えてください。
私が経営している会社は、「株式会社美容家集団MEDUSA(メデューサ)」といいます。
主にヘアメイクアップアーティストやネイリストの登録制事務所として、いわゆる派遣事業を行っています。
また、化粧品会社のメイクアップトレーナー、専門学校の講師活動、一般企業の社員向けトレーニングなど幅広く活動しているところです。
社名のMEDUSA(メデューサ)は、私が10代の頃に見たイレーヌメイヤーさんの絵画から名付けました。
メデューサというのは、髪の毛が蛇になっている女性のことです。その絵画は、女性の美しくおっとりとした顔と髪のヘビが相反するイメージを一つにしており、私自身の価値観に大きな衝撃を与えました。その絵を見て、私も将来そうなりたいと思ったんです。
どんな職業でどれだけの経験を積んでも、常に謙虚に初心を忘れず、プロとして仕事を全うする姿勢を忘れない。
そういった強い意志のもと、株式会社美容家集団MEDUSAという社名を採用しました。
世界を股にかける仕事に憧れ、約30職の転職を経験した
ー学生時代、起業に憧れを抱いたエピソードがあればお聞かせください。
小学校高学年の頃、父と見ていたテレビ番組に出演していた男性の方から「世界を股にかける仕事がしたい」という言葉を耳にしました。
その一言がとてもかっこよくて、漠然と「自分も将来は世界を股にかけるような仕事をしたい」と思ったのが始まりです。
ー最初の就職で美容を仕事にすることを考えていたのでしょうか?
実は、高卒での就職活動では「美容」の「美」の字すら意識していませんでした。
高卒で就職した後、多種多様な業界・業種の会社に転職を繰り返しながら、自分が進むべき道を模索していました。
気がつくと3ヶ月に1回転職を繰り返し、約30職もの仕事を経験していました。自動車修理工で働くこともあれば、レストランで料理を運んでいたこともありましたね。
3ヶ月くらい仕事をすると、その先が見えてしまうんですよね。今の仕事を10年、20年と続けて、なりたい自分になれるのか。それが実現できないと感じたとき、また新たな自分を探すために転職していたわけです。
美容業界は将来が見えないからこそ、挑戦する価値があった

ー美容業界に興味を持ち始めたきっかけとは何でしょうか?
人生の路頭に迷ったまま20代になり、たまたまモデル事務所の方にスカウトされました。そこで、美容業界という未知の世界を知ることになったんです。
当時、雑誌や折込広告のモデルのアルバイトを経験し、美容業界の魅力を肌で感じることができました。
ただ、モデルという職業で成功するのは難しいと思い、この業界に密接した仕事をしたいと考えるようになりました。
そして、最終的にヘアメイクの専門学校へ進学することに決めたんです。
ーなぜ、ヘアメイクの専門学校への進学を決めたのでしょうか?
カメラマンやスタイリスト、照明などの色んな専門学校を見学しましたが、どれも自分にはしっくりきませんでした。
最後の最後に見に行ったのがヘアメイクの専門学校で、そこで男性がメイクをする姿を見ました。今では、男性でもメイクされる方が増えましたが、当時は別の見方をされていたんですよね。
でも、モデルといった職業に密接に触れられる仕事はこれしかないと思いました。幼い頃に夢見た世界を股にかける仕事。ヘアメイクならそれも実現できると思ったんです。
また、学校の講師から色々お話しをする中で、「美容業界でフリーランスで活動していくには将来のポストが見えにくい」。そういった働き方の魅力もありました。会社勤めでは、10年後、20年後の自分のポストが予想できてしまいますよね。ですが、美容業界で独立すれば自分の努力次第で道が大きく変わります。
「将来の姿が自分次第で決まる」という部分に惹かれて、美容の道を歩んでいこうと決めました。
所持金は32円。ホームレス生活でも夢を追い続けた
ーヘアメイクの専門学校を卒業後、無事になりたい職に就くことはできたのでしょうか?
専門学校を卒業して「ヘアメイクアップアーティストになりたい」と思っていましたが、募集自体がほとんどなく、就職は厳しい状況でした。
そんななか、たまたま専門学校で講師として来ていた「山田かつら」のヘアメイクさんと仲良くなる機会がありました。山田かつらという会社自体は知っていましたから、「どうしてもここに入りたい」と思い、面接をお願いしました。しかし、経験がないことを理由に断られてしまいました。
どうしても諦められなくて「給料はいらないので勉強させてください」とお願いしたところ、「給料ゼロでいいなら、好きなときに来ていいですよ」と言ってくださったんです。
まずは見学という形ですが、あの時は本当に嬉しかったですね。そして、毎日実家から山田かつらの本社まで通い続け、7ヶ月間無給で現場を見学しました。
ー7ヶ月無給で働いている間、どのような生活をされていたのでしょうか?
実家から本社まで電車で2時間かかる距離だったんですが、交通費がないので次の日の電車賃が足りず、どうしても本社近くで夜を過ごさざるを得ませんでした。
そこで、小田急線沿いの多摩川の河川敷に寝泊まりするようになったんです。
最初は本当に何もない状況でしたが、近くのホームレスの先住者の方たちと仲良くなり、ブルーシートや段ボールを譲ってもらいました。それで寒さをしのぎながら、何とか生活していましたね。
その頃の経験で、暖を取れることや布団で眠れること、満足にご飯を食べられることがどれだけありがたいか、当たり前だったものの価値が一変しました。
ー非常に過酷な状況のなかで、山田かつらの仕事を掴み取ることはできたのでしょうか?
河原で段ボールに寝泊まりしていましたが、「これは長い人生の中の一時期に過ぎない」という確信を持っていました。
絶対にこの仕事で成功してやるという意思がありましたし、ここで辞めたら「またあの頃と同じように転職を繰り返すだけだ」と思っていたので、何としても踏ん張ろうと決めたんです。
当時、お財布にはいつも32円しか入っていませんでした。でも、山田かつらで圧倒的な学びの場に身を置けたことで、心の中はものすごく充実していました。テレビ局でヘアメイクの現場を見学させていただくことなんて、普通では経験できませんから。
見学を始めてから7ヶ月後、ようやく初任給として6万5千円をいただきました。その金額は今でも忘れられません。
それからも30歳になるまで毎月6万5千円を定額でいただきながら、山田かつらで大好きなヘアメイクの仕事を全うしました。
年齢で選ばれる厳しい現実を知り、タイムリミット前に起業を決めた

ー美容業界で独立を意識し始めたタイミングはいつでしょうか?
美容業界で働いている尊敬する先輩方や著名な方々の姿を見て、「あの人のようになりたい」と憧れる反面、この業界特有の厳しさにも気づきました。
アイドル歌手と似たような状況で、若い時はたくさんの仕事が来るけれど、年齢を重ねると仕事が減っていくという現実を目の当たりにしてきました。
実際にフリーランスで活躍されている方々を見ていると、ある程度の年齢に達すると仕事が減り、最終的に別の職業に就くケースが多かったんです。全くパソコンを触ったことがない状態で新しい職場に入り、年下の上司に怒られながら必死に頑張っている先輩方をたくさん見てきました。
私はそうなりたくないと思いましたし、30歳になる前から将来的な独立を意識していました。
ー起業を意識してから、実際に会社を設立するまでの背景をお聞かせください。
色んな経験をされた先輩方からお話を聞くなかで、「美容業界で長く活躍するには2つの道がある」と教わりました。
それは「自分のブランドを持つこと」と「自分の箱を持つこと」です。
業界でどれだけ経験を積んでも、年齢によって仕事がなくなっていく厳しい世界です。そんな現実と真剣に向き合ったときに「会社を設立して代表となり、自分のブランドを持とう」と決意しました。
そして、仕事がなくなり始める年齢が35歳くらいだと知り、34歳になったタイミングで「有限会社美容家集団MEDUSA」を設立したというのが、独立の背景にあります。
ー美容業界で成功するためのビジネスアイデアはあったのでしょうか?
フリーランスとして活動していた頃から、既に今のビジネススタイルのヒントになるアイデアを持っていました。
当時、個人の仕事量ではどうしても収入に限度があり、「どうすればもっと収入を増やせるのか」と考えていました。そこで、「自分のコピーを沢山作れば、無限に収入が広がる」という発想にたどり着いたんです。
具体的には、「フリーのヘアメイク仲間を集めて派遣する」というスタイルで、今の会社の事業モデルの原型となっています。
また、会社を設立する前に海外でもキャリアを積んでおきたくて、韓国に渡り、日本とは異なる美容の文化を学びました。
言葉も通じない韓国で貴重な海外キャリアを積んだ
ー海外キャリアを積む場所として、なぜ韓国を選ばれたのでしょうか?
今や韓国は美容大国と呼ばれていますが、当時はまだまだ美容という領域が開拓されていませんでした。
なぜ韓国を選んだのかと言うと、尊敬する清水悌(てい)先生の言葉があったからです。日本でフリーランスとして活動していた頃、「メイク界の巨匠」と呼ばれる悌先生に改めてメイクを学ぶ機会がありました。そのときに悌先生から「韓国を制すは、世界を制す」という言葉をお聞きしました。
その言葉をきっかけに、隣国である韓国に渡って挑戦してみようと決意したんです。
韓国語は全く分からなかったので、まず自分のプロフィールと経歴、日本でこれまでやってきた仕事をすべてハングル文字に翻訳してもらいました。それを1枚の書類にまとめ、それを片手に韓国へ渡りました。
ー韓国でヘアメイクのお仕事はすぐに見つかったのでしょうか?
最初はソウルで美容室を回りましたが、言葉が通じないのでほとんど門前払いでした。40社ほど回っても全く手応えがなく、正直、精神的にも辛かったですね。
最後の最後、もうこれでダメだったら日本に帰るしかないと覚悟を決めていたとき、日本語が通じるカンさんという女性が「韓国でメイクの仕事をしたいんですか?」と話しかけてくださったんです。
初めて韓国で自分の言葉が通じた瞬間でした。カンさんのご厚意で、韓国のメイク協会の理事長を紹介していただき、そこから少しずつ話が広がっていきました。
ようやく韓国でのキャリアがスタートし、ソウルを中心に香港、中国の美容室や美容学校で、ヘアメイクアップ講師として4年間の経験を積みました。
ー韓国でまた1から挑戦でしたが、不安はありませんでしたか?
小さい頃から憧れていた「世界を股にかける仕事」を諦められなかったんです。
美容という仕事なら国境を越えることができますし、今経験しておかないと40代、50代になったときに再挑戦は無理だろうと考えていました。
韓国での濃厚なキャリアは、日本で会社を経営するうえで大きな自信になりましたね。
経営者に付き添っていた経験が、起業後のマネジメントに役立った
ー起業に必要な書類作成や手続きはスムーズに進みましたか?
会社を設立する際、書類関係に関しては全くの無知でした。
専門的なことを自分で対応するのは難しかったので、司法書士の先生にすべてを一任し、必要な書類の作成や提出などをお願いした形です。
ー会社を設立する前、経営に必要な知識を学ぶ機会はありましたか?
フリーランス時代の経験が大きな助けになりましたね。
山田かつらを退職後に別のヘアメイク事務所から仕事をいただいていた頃、社長の運転手を務めながら現場の仕事をじっくりと見ることができました。
そこで仕事の取り方や顧客とのマネジメント、会社経営の実際の動きを間近で見ることができました。
例えば、クライアントへの気遣い、信頼関係の築き方、案件をスムーズに進めるための工夫など、実践的なノウハウを学ぶことができたのは大きかったです。
MEDUSAが目指すのは、ヘアメイクアップアーティストの地位確立

ー美容家集団MEDUSAが掲げているミッションについてお聞かせください。
私たちMEDUSAは、ヘアメイクアップアーティストという職業の社会的地位の確立を目指しています。
ヘアメイクアップアーティストは、美容師のように確立された地位を持つ職業ではなく、「社会的に足が地に着いていない職業」と思われることもあります。
実際に、会社登記をしていないフリーランスの集合団体も多く存在しているのが現状です。
そのような背景があるなかで、私たちはヘアメイクアップアーティストを会社組織にして、地位向上に寄与するというミッションを掲げて活動しているところです。
ー現在の主な活動内容について、詳しくお聞かせください。
弊社では、大きく分けて講演事業と派遣事業を行なっています。
講演事業としては、一般企業向けの新入社員の研修会や、高等学校や美容専門学校の授業でヘアメイク講師を担当させていただいています。
派遣事業におきましては、ヘアメイク業界全般における現場での仕事です。
例えば、舞台、テレビ、呉服屋、ウェディングブライダルなどの現場や、化粧品会社の新商品企画などにヘアメイクアップアーティストを派遣しています。
東京・名古屋・大阪というエリアで、約60名のスタッフが在籍しています。皆さん年齢もキャリアもバラバラですから、適材適所にマネジメントしているというのが現状です。
「お金を追った仕事は絶対しない」という信念
ーMEDUSAに属するヘアメイクアップアーティストの特徴についてお聞かせください。
これは私自身もそうなんですが、お金を追って仕事をしている子はいません。
ヘアメイクアーティストが持つ技術というのは、基本的にみんな横一線で同じなんです。
最も重要とされるのは「人間性」です。
その部分に一番こだわって面接していますから、最終的に私と同じようなマインドの子が集まる美容家集団になっています。
「この金額では仕事を受けない」というフリーランスの方もいますが、私どもはそういったスタンスではありません。
これまで何百人というヘアメイクアーティストを見てきましたが、お金を追う子ほど良い仕事をしない子が多いんですよ。
会社として利益を追求するのが経営者ですが、「お金を追った仕事はしない」というマインドはずっと大切にしていますね。
お金を追えば人とお金は逃げます。人との縁がお金の円に変わるのです。
ーヘアメイク業界で独立し、長く活躍するための秘訣についてお聞かせください。
先ほどお話しした「人間性」「お金を追わない」という要素に加えて、「良い意味で嘘をつける」というテクニックが業界で長く活躍する秘訣です。
人間には、良い意味で嘘をつける子とつけない子がいます。
「正直者ほど出世しない」という言葉をよく聞きますが、実際にそうなんですよ。
例えば、A社から「山咲さん、こういう仕事できますか?」と依頼を受けたとき、自信がなくても「はい!できます!」と言い切るのは良い嘘の例です。その裏で猛努力するんです。その回答で将来が大きく左右する可能性があるんですから。
正直すぎるが故に出世できない方はごまんといますし、業界を生き抜くうえで大切なテクニックだと思います。
ー今後、新たに挑戦したいビジネスはありますか?
ヘアメイクとは異なる分野ですが、「食」に非常に興味を持っています。
ホームレス時代は、砂糖を舐めるだけでも腹が満たされれば良いというような状況でした。
美容業界で長く活動していると、真の美容を支えるのは化粧品でも何でもなく、「食」であると強く感じることがあります。
若々しい容姿を維持する根底の要素が「食」ですし、美容に関わる以上、究極の美容食を追求した事業を将来展開できればと思っています。
現場に行く前の準備こそ「真の仕事」である

ー経営者として大切にしているマインドを教えてください。
30歳前後でフリーランスだった頃、著名な先輩から「君はまだ仕事師の顔になっていない」と言われ、その言葉がずっと心に残っています。
「現場に行って仕事をするのは、仕事ではない」
「本当の仕事は、現場に行く前にどれだけの準備ができるか」
現場に行くのは結果を出すためであり、その結果を出すための準備こそが、真の仕事であると教えてくださったんです。そこから仕事に対する向き合い方、概念が変わりました。
どれだけ時間を費やして、質の高い準備ができるのか。
何年経っても、あのとき受け取った言葉をずっと大切にしています。
ー美容家集団MEDUSAの企業文化・風土づくりで、特に心がけていることはありますか?
これはどんな組織でも欠かせないものですが、やっぱり報連相ですね。
私とスタッフとの間で、ダークなもの、グレーなものをつくらないことを心がけています。
例えば、マネジメントとして毎日一人ひとりのスタッフと連絡を取り合い、「どのような状況でどのような業務を行うのか」を可視化することが大事です。
そして、業務が終わった後にきちんとフィードバックをする状況をつくれば、「次回はこうしましょう」といったアドバイスも的確にできます。
常にクリアな連絡が取り合える環境、風通しの良さは弊社の強みであって、クライアント様との信頼関係構築にもつながっています。
人として誠実であり、対応も常に丁寧であることが大切
ー起業して良かった、経営者になって良かったと思えたことをお聞かせください。
約20年間、会社を経営してきたなかで、資金繰りや経営のバランスを考えながら会社を運営することの難しさと面白さを実感しています。
組織に雇われて働くサラリーマン時代とは、全く違う景色が見えるようになりました。
特に大きな違いを感じるのが、お金の流れです。収入、支出、そして会社としての資金繰りなど、お金の動き全体を把握する必要があります。
その過程で、世の中の仕組みや会社という形態がどのように成り立っているのかを深く理解することができました。
それが経営者になって最も大きな学びであり、起業して良かったと思える瞬間でもありますね。
ー経営者を目指すうえで重要な要素があれば教えてください。
経営者を目指すのであれば、人間力、責任感、時間の使い方、挨拶、そして謙虚さが欠かせない要素だと思います。
これらは私が一人の人間として、常日頃から意識していることです。
特に、人としての誠実さや対応の丁寧さは、仕事を進める上で最も重要だと考えています。
サービス業に近い部分も多いと思います。ファンになっていただけるかどうかは、私たち自身の対応にかかっていると思います。
相手の立場になって考え、何を求められているのかを正確に理解しなければ、契約も打ち切られてしまいますから。
そして、プロとしてプラスアルファのニーズに応えることも大事です。
サービスに付加価値を与えて感動をもたらすことは、私がずっと目指しているメイクアップの理想形です。
今しかできないことに目を向けてトライしてほしい

ー起業を目指している読者に向けて、最後にメッセージをお願いします。
過去の私が35歳までに海外キャリアを積み、会社を設立したように、皆さんにも「今の年齢でしかできないこと」が必ずあります。
それに気づかないまま歳を重ねて後悔しないように、今できることにトライしてみてください。
前を向いて頑張り続ければ、将来、絶対に花が咲くときがくるでしょう。
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起業には個人事業主としての開業と会社設立の2種類があり、事業形態に合わせて選ぶことが大切です。また、起業のアイデアをまとめたり、事業計画書を作成したりといった起業の流れを把握し、十分な準備を整えるようにしてください。
一度起業すると、資金や従業員の管理、納税など多くの責任を負わなければなりません。過去の成功事例も参考にしながら、自分なりのビジネスを展開できるよう起業アイデアを練ってみましょう。
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- ※本記事の内容は取材時点の情報に基づいて作成されたものであり、今後変更される可能性があります。
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